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なおと世界一周旅日記  Vol.33 「Entertainment Show!!」

10/9(木)      in  エルサレム

PLO議長府のあるラマラから、久々にエルサレムに戻ってくると、
エルサレムの安宿ファイサルホテルのオーナー、ビシャムが俺を待っていた。
「明日、Handicapped Children(身体、精神上の障害を持った子ども達)の
学校に行って歌を歌ってくれないか?」
明日とはまた急な話だが、興味が沸く。
ビシャムは、俺がアラファト議長の前で歌ったことを、すでに聞きつけていたのだ。
その場に居合わせ、先にエルサレムに戻ってきている平和運動の連中から。
明日からの俺の予定はあってないようなものだ。
こういう自由な旅は、いくらでもスケジュールの調整が利くところが、特権である。何よりもまた歌で、人をハッピーにできるその機会を与えてもらえたことが、
うれしく、疲れている体が軽くなったような気がした。

そして詳しく話を聞くと、そのパレスチナ人のその学校で、ショウをやるのは
俺だけではなく、ジャグリングの人たちも一緒だった。
ジャグリングとは、数個のボールをお手玉したり、ボーリングのピンのようなものを同時に空中で回したりする大道芸。
時にお客さんを巻き込んで、笑わせたり、本当に愉快なピエロである。

翌朝、面識のなかったジャグリングの人たちと、ホテルを後にし、学校へ向かう。
そこの学校は、身体的な障害の子よりも、精神的な障害(知的障害)を持った子を中心とする施設であった。
わりときれいな建物は3階建てで、5クラスほどの教室に5、6人ずつくらいが
授業を受けていた。
小学生であろう。
校長先生と挨拶をした後、ショウの打ち合わせを始めた。
ジャグリングのショウの中に俺の歌を組み込んだ、ミュージカル的な
エンターテイメントショウをすることにした。
そこまではいいが、そのジャグリングの人たちは3人ともアメリカ人で、自分たちのジャグリングプログラムを俺に説明してくれるんだが、まじで速いマシンガン・ネイティヴ・イングリシュに全く手も足も出ず、焦りましたな。
あれには。
「ゆっくり、ゆっくり・・・」と俺が頼んでいるのに、
彼等のあの思いやりのなさは何なんだろう?
何でわからないの?っつう、その態度に、だんだん腹立ってきた。
着替えながらの説明で、気持ちが入ってなーい。
それが腹立つ!  ちゃんと説明せーい!

時々、ゆっくりしゃべってくれるネイティヴ(イギリス・アメリカ・オーストラリアなど)の旅人にも会うが、 大抵はこんな調子で自分のペースを崩さずに接してくる。
俺かて、日本語やったら、流暢にしゃべれんねんでー! ちきしょー。
わからねー。 それで? それで? その後は? それでいつ俺が登場すんねん?
うおぉー。時間もなーいー。

そこの学校の先生らしき男の人が、部屋に入ってきて、
「オルガン使うか?誰か弾けるか?」と、尋ねる。
一瞬みんな顔を見合わせ、使いたいけど、誰が弾くのよー?といった空気が漂う。
オルガン? まあどんなもんが出てくるか分からんが鍵盤やろ?
おもしろそうやんけ。

なおと「俺が弾いてみようか!?」
みんな「おおーー!弾けるんか?よっしゃ、頼むでー!」

そして先生が持ってきたオルガンとは、キーボードのことで、日本なら
ホームセンターで1万8800円位の、いろいろな音色の出せる代物であった。
これを弾きながら俺は、ショウの音楽監督も引き受けることになり、
初めての経験にワクワクした。

生徒30人くらいと、先生達5,6人が待つ、外のテラスのステージへと向かった。
まずは俺が登場し、キーボードに向かうと、子ども達からすごい歓声が上がる。
嬉しかった。
登場しただけで歓声をもらえた快感と、子ども達のその暖かい声援は、
showman なおとのハートに届いた。

はじめは、アラブっぽいメロディーで、ピエロたちを呼び込むべく、
イントロダクションを弾き、ショウの期待感をあおる。
そして、3人のピエロが登場。
ここからは、楽しい明るいメロディーで、
ハッピーなピエロの動きが映えるBGMにする。
ピエロの動きに合わせ、何が効果的かを即時に感じ、時々音色を変えたり、
効果音も使い、時にジャズっぽいドラムだけにし、時にパーカッションで
子ども達の拍手をあおる。
完全、裏方ではあるが、目の前の人間の動きに合わせる完全なる即興演奏は、
とても心地よかった。
こんな小さい会だったけど、将来ミュージカルの音楽、ドラマの音楽、映画音楽・・・そんなことにも、いつか携わっていけたらなと、本気で思った。

3人のピエロたちのショウは見事だった。
言葉が通じない分、大きいアクションと、ファニーな動き、
そして確実な技で、子ども達は大喜びしている。

そして、俺の歌の番だ。
空気イスに座るパフォーマンスで、ピエロ達が一人ずつ座っていき、
最後に俺が座る。
そこに、管理人役のおじさんが来て、
「そんなとこで、何してるんだい?」
  「見たらわかるだろう、みんなでベンチに座ってくつろいでいるんだ。」
「あのねー、申し訳ないんだが、
    ここのベンチは昨日あっちに動かしたんだけど・・・」
  「え・・・?!」

オーバーなリアクションで、みんながどっと後ろに倒れる。
ここは倒れたまま歌い始めた方がいいな。
「うーえーをーむーいーてー あーるこーう♪・・・」
そして立ち上がり、みんなを起こし、テンポを速くして、歌う。
子どもたちの前を歩きながら、そして座ってる子どもをステージの方に
引っ張リ出してきたりしながら、ミュージカル調に歌う。
これまた、ミュージカルはおもしろいやろなー、と感じた瞬間やった。
いったん、BGMのキーボードに戻り、しばらく弾いた後、最後に
エンディングテーマ的に俺の曲「Peace for children」を歌い、舞台は幕を閉じた。

本当に純粋な心の持ち主である子ども達は、鳴り止まない拍手と歓声をくれ、
そのショウが成功したことを、僕等に伝えてくれた。

ショウが終わると、3人のピエロ達と自然に大きな連帯感が生まれていた。
それはお互いが初めて見るショウでありながら、終了後はお互いを
リスペクトし合いあったそんなショウであった。
いきなりぶっつけ本番で一緒にやったスリリングな、いわばサヴァイバルを
駆け抜けた戦友である。
その時にはもう、彼等への嫌悪感は、すっかり消えていた。

エンターテイメントは偉大である。
あの空間はまさに、戦争などとは程遠い、ピースフルな空気に満ち溢れていた。
笑いと、笑顔と、歓声に包まれたあの時間、僕等は時の存在すら忘れていた。

その夜、再びエンターテイメント集団を、再結成。
お次は、イスラエル平和運動団体主催のパーティーの席だった。
エルサレムの新市街にあるこぎれいなヨーロッパスタイルの建物で行われた。
スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、カナダ、アメリカ、イギリス、イスラエル、
パレスティナ、フランス、日本(俺)といった国の人たちが、60、70人集まった。

エンターテイメント軍団の大黒柱、29歳のジョンは、ヤング・フェイス&ソウルで、ほんまもんのサーカス集団でやっているピエロだ。
今回は、中東和平のために、ショウをしにサンフランシスコからやって
きているという。
23歳の女の子二人、エンジと、イドュンは、逆に27、8に見えるくらいの
大人びたコンビである。
ノース・キャロライナ出身で普段から本当に明るく、いい意味で馬鹿な、
楽しい彼女らである。
ジョンと、エンジ・イドュンのこの二組も別々に活動していて、
エルサレムで出会って、3人で始めたらしい。
そして、俺が加わり今日は4人の集団になり、
また明日からは離れ離れ、バラバラになるのだ。

「Let`s  go, get them!!(よっしゃいこうぜ!!)」
ネイティブな表現も、彼等から教えてもらった。
一番いい英語の勉強法である。

パーティでは食事もバイキングで、がっつりいただき、お酒も飲めて、
バックパッカーにとってたまらなく、ありがたい会であった。

そこのでのショウは、2回目ということで、余裕があった。
昼間のキーボードはギターに変わり、一つの音色でいろんなリズムと
コードで表現した。
プログラム的にはほぼ一緒であるが、何がすごいって、子どもにも大人にも
同じようにウけるというところである。
結局、みんなが「楽しい」という気持ちを持ち続けていれば、
子どもの気持ちのまま楽しめるのだ。

無事ショウも終わり、パーティーもたけなわになってきた頃、
なおと単独ライブをした。
ギターでの弾き語り、3曲。
そしてMCでは、不自由な英語で何度も詰まりながらしゃべり続け、
なおとなりの平和の解釈を、10分ほど必死に熱く語った。
すると、平和運動の活動家のみなさんから大きな拍手が沸き起こった。
自分の考えを認められた嬉しさもあっただろう、英語で伝えられた達成感もあっただろう(と同時に、単語力不足も痛感)、充実した想いがあった。

今日のように濃い一日は、なかなか寝つけられないものである。
まだアドレナリンが残っているのである。
日本でもライブをした夜はそうだった。
体全体で集中して歌うものだから、体から興奮が抜けていくのは、
しばし時間がかかる。
「今日も、楽しくいい一日だったなぁ。」と、
ドミトリーのベッドの中、小声でつぶやく。

   エルサレムより     人生はエンターテイメントだ!☆なおと



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