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なおと世界一周旅日記  Vol. 65 「遂にモナリザとご対面!!」

12/11 (木)   in パリ (フランス)

俺「なおと」の1-st album「ファンク・ルネッサンス」のレコーディングも
完成に近づいてきた頃、ジャケットの話が始まった。
どんなデザインにしようか。
写真案、イラスト案・・・さまざまな案がスタッフの間で飛び交った。
が、俺にはどうしても譲れないアイディアがひとつあった。
それが、モナリザであった。

俺とモナリザとの出会いは小学1年生の時にさかのぼる。
美術準備室に飾ってあったモナリザの絵の秘密を、先生が教えてくれた。
「モナリザはね、どこから見ても目が合うのよ。
 ほら、あなたを見てるでしょう?」
その言葉を聞いた時から今まで、一回たりとも、
モナリザと目が合わなかった時はない。

上から見ても、下から見ても、横からみても、ずっと目が合うのだ。
何か、いつも自分を守ってくれているような母のような包容力を
その絵から感じていた。
それからというもの、しょっちゅう放課後、モナリザに会いに行ったものだ。

それほど好きな絵であった事に加えて、
500年もの間、世界中の誰もが知っているその普遍性。
(そんな普遍的な音楽を創っていけたらなぁということで)
そして何よりも、そのインパクト。
モナリザの顔のジャケットがレコード店に並んでいたら、
確実に人の目を引くであろう。

そういった理由から、ジャケットはモナリザがいいと推すが、
周りは大反対であった。
四面楚歌であった。
唯一、事務所のボスだけは、そのアイディアに大いに乗ってくれたのだが、
レーベルとは真っ向から対立する事となった。
不気味で気持ちが悪い、女の子は怖がる、
なおとの音楽に合ってない等の理由だった。

アマチュアの頃から、俺が貫いてきたこと。
「自分の意見を通したい時は、自分の足で稼げ」
人の心を動かすには、口だけでは不充分なのだ。
それはデビューした後も変わらないことだった。

デザイナーの方にサンプルを作ってもらい、それを持って渋谷に出かけた。
誰かに頼るのではなく、自分の足で稼ぐべく、聞き込みアンケート調査を始めた。
何も説明せず、いきなり、「このジャケットどう思う?」と尋ねる。
その反応をひとつひとつ、ノートにメモをとった。
「いい!!」「インパクトあると思う。」「キモイ!」「やだ!」
500人からとったアンケートからは、面白い結果が出てきた。
答えがはっきり二分したことだった。
6対4ほどで、「いい!」派が勝っていたのだが、残り4の反対意見も、
はっきりと「No!!」「よくない!!」派であったということだ。

世の中に何万ものCDが世に出ている中、どれだけのCDジャケットが、
これほど明確な結果が出るだろうか。
中にはセンスのいい、面白い作品も極まれにあるが、大半が、いいも悪いもなく、
「まあ、いいんじゃない・・」「いいと思う。」「う〜ん。ありかなー」
と、曖昧な意見が並ぶのが普通だろう。

例え、マイナスの意見だとしても、ここまではっきりしていると
反対にプラスになることがある。
例えば、女子高生が、レコード屋で、その「モナリザ」に目に留まる。
 「何これ〜!モナリザじゃん!気持ち悪くな〜い?
  こんなの部屋にあったらやだよね〜? ね〜、キモイ!」
これでもう、勝ちなのだ。
話題性という面で見たら、このはっきりとしたマイナスの意見が
プラスを呼ぶのだ。

次の日に学校で、その子が
 「きの〜う、レコ屋行ったら〜〜、なんか〜変な〜モナリザの
  キモイCDがあって〜〜。ね〜、気持ち悪くな〜〜い?」
と言ってしまったら、もう勝ちなのである。

このアンケートと、まとめた分析結果をスタッフに提出し、話をした。
すると遂に、向こうから
 「そうか〜。なおとがそこまでそうしたいと言うのなら、
  俺も協力するよ」と、乗ってくれた。世の中、捨てたもんじゃない。
情熱を持って接すれば、伝導熱は伝わるものなのだ。

そんな経過があり、アルバムのジャケットに決定、
店に置かれることになったモナリザ。
その彼女にいよいよ会えることになったのだ。

「広い」という形容詞がよくお似合いのルーブル美術館の中に、彼女はいた。
すごいオーラを放ちながら。
まずは、彼女に会えたことの喜びで胸がいっぱいになり、
ただただずっと眺めていた。

目、眉毛、口元、服、指、背景、モデル等、数えたらきりがないほどの謎や
、説が飛び交うこの一枚の絵。
さすがに、他の絵とは何か違うオーラを感じた。
思っていたより色が暗いなと感じたのは、俺のアルバムのジャケットの方を、少しでも印象を良くする為にと、修正を加えていたからだった。

すごく混んでいるとの前評判だったが、週2回の夜の開館日で
しかも閉館時間も近づいてきていた時間帯であったので、人も少なく、
ずっと、ずっと彼女を眺めていられた。

そして、別れ際、小学生の時に教えてもらった事は、
本当かどうかを本物の絵の前で試してみると・・・・
モナリザは、どこからでも、こっちを見て微笑んでくれていた。

^^豆知識^^
この作品はルーブルから滅多に出ることはない。
かつて海を渡ったのはわずか2回で、1回が1963年にアメリカへ。
そしてもう1回が、1974年4月20日、日本の東京国立博物館である。
日本に来た時は、それはそれは大変な騒ぎで、3,4時間も並んだ挙句、
正面から見る事が出来たのはわずか10秒程だったとか。
そのだいぶ前には一回盗難にあってるんだがね。
2年間も。
イタリアのフィレンツェのホテルで見つかった。
もしこの時、見つからなかったら、どうなっていたのか!?愛しのモナリー!

P.S.
ミロのヴィーナスも、実に美しかった。
立体の彫刻は、写真じゃその美しさが全然伝わらないからなー。
実際に自分のこの眼でしかと見て、見とれましたとさ・・・


    モナリザの微笑☆なおと



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