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なおと世界一周旅日記  Vol. 31  「PLOアラファトさんに歴史的謁見①」

10/5(日)      in  ラマラ (パレスティナ)

なんということが起きたのだろうか!?
2003年10月5日(日)、イスラエル、パレスティナ自治区ラマラにある
パレスチナ解放機構、PLO(Palestine Liberation Organization)の議長府。
アラファト議長の前で歌を歌い、食事会に出席し、話をさせていただいた。
ありえない。
でも、確かに起こった!
すばらしい突然の機会に、心の底から平和を願う歌を無我夢中で歌った。
世界のアーティストの誰が、ここに独りで個人的にやって来て、
アラファト議長の前で歌を歌う機会があるというのか?!!
歌を歌っている時、そこの会議室の空間は、ひとつになっていた。

何十年も続く中東問題。
今、ここは世界の紛争の中心。
イスラエル・パレスティナ問題は世界中が気をもんでいる
一番大きな問題であろう。
ここにきてさらに泥沼化しているこの問題が解決するのは容易ではない。
そんな中でも、歌は、音楽は一瞬でもその空間を平和な空間へと導くことのできるとてつもなく大きく素晴らしいパワーを持っているものだと、改めて確信した。

昨日、パレスティナ自治区のヘブロンへ行き、イスラエル入植地に入った。
ユダヤ人とパレスティナ人との間は実際、どのような状況なのか、
この目で見たいという気持ちからだ。
ヘブロンでは1994年虐殺(29人のパレスチナ人が死亡)が起こったり、遂2ヶ月前には、ユダヤ人を装ったパレスティナ人が自爆テロをし、ユダヤ人夫婦が死亡。
常に緊張が走っている街である。
パレスティナ人の家で、パレスティナ人たちと長い間話をし、
チェックポイントのイスラエル兵とも長い間話した。
話をしている途中、衝撃的なニュースが入る。
イスラエル北部の街ハイファで、
19人の死亡者が出る大きな自爆テロが起こったというのだ。
ハイファといったら、ユダヤ人もパレスティナ人も非常にうまく混ざり合い、
共存しているといった非常に安全かつ平和に見える街での事件だけに
衝撃は大きかった。
イスラエルの国の中で危険ではないところはないようだ。

朝起きて今日はどこへ行こうかと考えていた。
PLO議長府のあるラマラに行こうと決めた。
エルサレムから近くて、日帰りで帰ってこれる所。
主な理由はそんなことであったと思う。
(しかし、実は、自爆テロの後で、イスラエル軍の報復攻撃の的になりやすい非常に危険な場所であったことを、この時はまだ気がついていなかったのだが。)

エルサレムのファイサル・ホステルを発つ直前に、元朝日新聞記者で、
今はフリーで活動しているジャーナリストの方に、
「ラマラかー。(テロがあった)昨日の今日だし、後、今日の夜からユダヤの正月を祝う祝日が始まるからなー、行けるかなー?無理かもよー?!」という、
助言をいただきながらも、まあ、行ってみないとわからんということで、
ラマラへ向かう。

ラマラには、意外と早く、あまりにもあっけなくたどり着くことができた。
その事が信じられず「ここはほんとにラマラか?ほんとか?」と
道行く何人もの人に確認するほどであった。
さあ!!!  どこへ?
着いたはいいが、まったく情報がない。
唯一持っている情報は、アラファトさんのいるPLO議長府が
ここにあるということだけだ。
よし、アラファトさんに会いに行こう。
そして平和について話すんだー。
なんて、小学生並の夢物語を描きながら、とりあえず議長府へと足を運んだ。

敷地内の外側の建物は以前のイスラエル軍の攻撃によって崩壊していた。
議長府の敷地の中になんとか入ることができ、世界中から集まってきている
カメラマン、マイクを持ったリポーター、ジャーナリストたちが
そこらを右往左往している。
そこをパレスティナ兵が警備している。
歌声が聞こえる。
しかも合唱だ。
敷地内の建物の前で、30人弱のおじさんたちが歌っている。
そこにカメラマン達が集まっている。
俺も自分のビデオをまわし、、マスコミの人になりすました。
何してんだよ?俺は。
カメラマンかよ。
ああ、歌いたい。
俺も歌いたい。
平和の歌を歌いたい。
いつも通り、歌いたい症候群が強い症状をあらわし始める。
どうしたら歌えるんだ?どいつがここを仕切っているんだ。
そこから、キーマン探しが始まる。
鋭い洞察力で状況を観察する。
その合唱団の曲と曲の間に、マイクでしゃべっている細身の頭の薄い男がいた。あいつだ!彼に違いないと直感する。
彼に話に行けば歌えるかもしれない。
そしてタイミング計りが始まる。
いつ行ったらいいんだ?
ややびびった感もあり、なかなか踏み込めずにいると、その合唱団の発表は
終わり、みんな建物の中に入っていき、マスコミは散らばっていった・・・・。
しまった。。。。タイミングを逃した。
もっと早くに言いに行かなければいかなかったのかー。

しかし、まだ何かチャンスがあるかもしれない。
あきらめず、建物の中に入っていくと、さきほどの頭の薄い男がいた。
よっしゃ、今だ。
と、その男に近づいていく。
彼の名前はアドナン。
どうやら予感的中で、この合唱団を仕切っているコーディネーターの人であった。
かなりいい人で、どこの誰かもわからん日本人の若者に、快く対応してくれた。
そして、俺も歌いたいという旨を伝えると、二つ返事でOKが出た。
「13時から。。。。アラファ。。。。ここに13時ちょっと前。。。。」
まじか?!よっしゃー、ゲッツ!!
早口で、ところどころしか聞き取れなかったが、
歌う機会を与えられたことは確かだった。

まだその時は、まさかアラファトさんの前で歌を歌おうとは、
夢にも思っていなかった。
                              
                                        つづく

  パレスティナ自治区ラマラより    Peace☆なおと



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