数日前は初雪が舞うほどの冷え込みはどこへやら?雄勝のみなさんを祝福するかのようなポカポカ陽気に恵まれたこの日。ナオト・インティライミ、鈴木渉、波田野哲也、三戸克幸の4名と共に「おがつ店こ屋街2周年記念祭」にお邪魔してきました。会場内にはたくさんの出店が立ち並び、美味しそうな匂いが…。到着するなり、今が旬の甘くておっきなホタテやぷりぷりのイクラなど、目の前に広がる雄勝湾の幸をたっぷりお腹に納めさせて頂きました!
この日のステージが組まれたのは、今は無き「雄勝総合支所」の玄関があった場所。3階まで津波に飲み込まれながらも屋上までは浸からず、多くの命を救った建物でした。その後も地域の中心として人が集まったり、物資などを保管したり、何より玄関は復興イベントの「ステージ」として多くの方々を出迎えてきました。そんな重要な役割を果たしてくれた建物も解体が決定。「壊される前にお別れ会ができたら…」という想いを受け、三回忌法要が営まれた今年の3月10日、ナオト・インティライミがこの場所で歌わせて頂いたのがご縁のはじまりでした。
そして今回!仮設商店街が2歳を迎えると聞き、「未来スケッチちょきんばこ SPECIAL LIVE」を開催させて頂くことに。ちょきんばこに想いを託してくださった全国の皆さんの代表として、盛大におがつ店こ屋街のお誕生日をお祝いしてまいりました。お年寄りから子供たちまで、会場を埋め尽くす笑顔、笑顔、笑顔!こうして雄勝の方々と楽しい時間を過ごすことが出来たのも、皆さんがたくさんの応援を預けてくださったからです。
この場所で毎月「おがつ復興市」が行われるようになったのが発災から僅か2ヶ月後の2011年5月。まだ辛うじて道路が通れるようになっているだけの状態でした。それでも雄勝の方々は瓦礫の中から立ち上がり、例え町は更地になろうとも、人が集える場を大切に守り育んできた結果、そこにはこうして仮設商店街が生まれ、今日という日を迎えました。ぜひみなさん、この場所で踏ん張っている方々に逢いに来てください。雄勝の美味しい海の幸と共にいつも変わらず出迎えてくださると思いますよ。
おがつ店こ屋街の一角に、観光協会と硯組合のショップ兼工房になっているスペースがあります。こちらが今度、地元の物産品や雄勝石製品のショールームとして改装されることになっており、工房機能は建設中の新しいプレハブに移され、より開かれた空間に生まれ変わる予定です。こちらのオープンに合わせ、震災から三年間に渡る雄勝の歩みを伝え遺すべく、壁面を活用したメモリアルスペースの制作を応援させて頂くことになりました。
こちらに店舗を構える雄勝の方々とお話しする中で、津波で流されずに残った大型の建物も解体され、このままでは何が起こったのかを伝えることもできないし、震災後どれだけのことを積み重ねて今があるのか、それを外から訪れた人に理解してもらうのも難しくなってきている、という声が聞こえてきました。それぞれに写真や資料を貼り出したり、映像を流したりと工夫はされていますが、時系列で振り返ることができる場を商店街として設置しようということになりました。今回はこの三年でどれくらい景色が変化したのか、少しだけご紹介したいと思います。
上段が2011年4月15日に撮影した写真で、下段がちょうど三年後2014年4月15日に同じ場所から撮影した写真になります。瓦礫の向こうに見えていた雄勝中学校は解体されてもうありませんし、流失した家屋の基礎も撤去され、押し流されてきた大量の土砂も無くなっています。かつてここに町があったとは、なかなか想像できません。
ここにあった郵便局は高台に移転し、プレハブにて仮設営業しています。今は何もありません。たくさんの命を救い、復興イベントの会場として活躍した雄勝総合支所も解体され、現在は仮設商店街だけが建っており、瓦礫の山だった雄勝の玄関口にはバラ園が生まれました。こうして見比べてみると、改めて三年という時の流れを感じます。メモリアルスペースを作るべく去年の夏頃から準備を重ね、現在は写真パネルの制作に向け最終的な調整に入っているところです。また追ってご報告させて頂きます。
新しいプレハブも無事完成し、お引越し作業もひと段落。工房として活用していたこのスペースも見違えるほどすっきりしました!前回のちょきんばこ便りの二枚目の写真と同じお部屋だとは思えませんよね。事務机や作業台、段ボールや雄勝石が山積みになっていたのに、今や立派なショールームに生まれ変わりました。
写真にとって紫外線は大敵!より長い時間、きれいな状態で写真パネルを展示するため、窓を全て塞ぎ、扉には遮光カーテンを取り付けようということで、必要なコンパネやクロスなどの資材を贈らせて頂くことになりました。この日は仮設商店街の方々と一緒に窓枠からカーテンレールを外したり、用意した板を取り付けたり、朝から大工仕事の一日。
誤差1ミリとの戦い!太陽光が漏れてこないように、微調整を入れながら…。全ての窓が塞がると、よりショールームらしい雰囲気になりました。写真展示に向け、少しずつ準備が進められています。
展示スペースから話は変わりまして…。おがつ店こ屋街が建つ雄勝総合支所跡地では、震災直後から途切れることなく様々なイベントが開催されてきました。瓦礫に囲まれた状態の中での復興市を皮切りに、やがてそこに仮設商店街ができ、支所が解体された場所にはまた新たなプレハブ建ち、再び人が集うための場が大切に育まれています。
今後もこの場所で継続的にイベントを開催していくため、鉄パイプと板で組んだステージが新たに設置されたのですが、地面は支所が解体されたまま舗装すらされていない状態で座ることもできないし、客席が無い!ということで、折り畳み式のベンチ10脚を贈らせて頂くことになりました。また、日頃から仮設商店街の前にはプラスチック製のガーデンセットが設置されているのですが、海からの突風が厳しい雄勝では簡単に飛ばされてしまうし、そのせいで割れてしまってボロボロだという声を受け、重みがあって壊れにくいステンレス製のガーデンセット5組も併せて贈らせて頂きました。
夕方に商店街の方々や練習に汗を流していた黒船太鼓のみなさんと検品作業をさせて頂いたのですが、せっかくなので全部並べて座ってみました!天気も良いし、オーシャンビューで眺めも最高。ビアガーデンみたい!と、みなさん盛り上がっておりました。今後はこちらで開催される様々なイベントで活用される他、町内で行事がある際は積極的に貸し出していきたいとのことですので、人が集える場づくりのために役立ってくれるのではないでしょうか。
発災から三年間の歩みだけでなく、震災前の美しい町並みについても記録を残すため、町外の方が撮影・保存されていた貴重なデータをご提供頂き、特産品である雄勝石にUVプリントを施して写真プレートを制作させて頂くことになりました。今回お力添え頂いたのは同じ石巻市の桃生町にある今野梱包さん。どのようにして石に写真を印刷するのかをお伝えすべく、作業現場にお邪魔させて頂きました!
事務所の入り口では段ボール製の巨大なオオクワガタがお出迎え!後ろの虫かごには小さなカブトムシの姿も見えますね。中に入るとずらりと並べられた恐竜の骨格標本が…。実はこれも全て段ボール!今野梱包さんはその名の通り木材パレットや強化段ボールなどの梱包材を製造販売する会社ですが、震災後にUVプリンターを導入され、梱包だけに止まらない様々なものづくりをされています。
さっそくUVプリンターに雄勝石をセットし、まずは写真を印刷する範囲を白くプリントします。こうすることでより美しい発色になるのだそうです。次にその上から写真をプリント。専用の紫外線硬化インクを使用するため、写真では分かり難いですが青白い光を照射しながら少しずつプリントされていきます。
ちなみにレーザー彫刻の機械もお持ちなので、メモリアルルームの看板も併せて作成して頂きました!今回プリントして頂いた15枚の写真には、雄勝石が葺かれた町並みや神社とそこに集う方々の姿などが収められています。そのほとんどが津波で完全に失われた風景であるため、記録としても非常に価値があるだけでなく、地域の方々に懐かしんで頂けるものになるのではないでしょうか。
工場を覗くと普通の梱包屋さんのようにも見えますが、奥に進むとなにやら面白いものがたくさん置かれています!強化段ボールの加工技術を生かして作られたロボットやおもちゃなどは子どもたちにも大人気。それだけでなく、発災直後は簡易の家具や間仕切りなどを制作し、避難所や仮設校舎などで活用されていたそうです。今野梱包さんでは普段から雄勝石にUVプリントやレーザー彫刻を施す記念プレートの受注販売を行っておりますので、気になる方はチェックしてみてくださいね!
以前にもご紹介しましたが、雄勝町で開かれる復興イベントのステージといえば、昨年の夏までここに建っていた雄勝総合支所の正面玄関でした。地面から数段高くなったその軒先があったおかげで、多少天候が悪くてもなんのその。町内外問わずたくさんの方々がその舞台に立ち、震災後の雄勝にとってなくてはならない存在となっていました。
そんな支所が解体されてしまった後、玄関の代わりとして単管と平台で仮設ステージが組まれたのですが、予算の関係で屋根無しに。そのため、せっかくステージプログラムを準備したところで天候に大きく左右され、雨が降ったら全てが中止という状態になってしまっていました。そこで、おがつ店こ屋街三周年記念祭の開催に先立ち、みなさんが安心してイベントを企画できるよう、仮設の屋根を贈らせて頂くことになりました!
雄勝の鉄工所さんにお力添え頂き、仮設ステージにピッタリの屋根を製作。雄勝町伊達の黒船太鼓保存会の大太鼓をセットしても問題なく演奏できる高さに合わせ、地域の出演団体への配慮もバッチリ!突風が吹き荒れる雄勝の気象条件も考え、常設の天井にしてしまうと破損や危険が伴うため、毎回取り外しが可能な天幕にしました。
10月16日に開かれた三周年記念祭は、昨年をはるかに上回る来場者数で大盛況!新品の天幕を取り付けた仮設ステージの屋根の下、雄勝法印神楽をはじめ、漫談から歌謡ショー、バンド演奏まで盛りだくさんのプログラムが行われました。ステージ前には同じく未来スケッチちょきんばこから贈らせて頂いたベンチが並び、ゆっくり座って楽しみたいご年配の方々に喜ばれていました!
この日は、おがつホタテまつりも同時開催されたのですが、早朝から長蛇の列となったホタテの特売やホタテ釣りだけでなく、ホタテ料理をその場で食べて楽しむ方も多く、以前贈らせて頂いたガーデンセットも活躍していましたよ!雄勝の豊かな海で育まれた、甘くて大きくてぷりぷりのホタテを頬張り、笑顔いっぱいの会場でした。
LIVE キャラバン2014-15の宮城公演前日、ナオト・インティライミも完成したステージの屋根を見に行ってきました。そしたらなんと!たまたま居合わせた雄勝町伊達の黒船太鼓保存会のみなさんが、私たちのために演奏を披露してくださったのです!秋晴れの空に響き渡る力強い鼓動に、ただただ感動の一言でした。最後は、これまたわざわざ出してきてくださった、雄勝のゆるキャラ硯のけんちゃんを囲んで記念撮影。またこのステージから、たくさんの笑顔が生まれることを祈って!
2013年の夏、「未来スケッチちょきんばこ」の活動がスタートした時点から、ずっと準備を重ねてきた雄勝のメモリアルルーム。語りつくすことが困難なほど、たくさんの出来事が詰まった震災後の三年間をどうやったら表現できるのか。この場所での営みひとつひとつを思い起こしながら、これまで丁寧に進めてきました。この日は待ちに待った写真パネル設置の日。プレハブの壁面を綺麗に拭き上げ、一枚一枚、大切に掛けていきます。
今回の企画のために、雄勝町内外の方々が提供してくださった震災後の写真「約1万枚」の中から「60枚」をセレクト。数字で表せば一言で済んでしまうわけですが、写真集めは想像以上に大難航。20m以上も津波が遡上し、壊滅的被害を受けた雄勝町において、いざ「あの時のあの風景を展示したい」という話になっても、その光景が脳裏に鮮明に焼き付いている方はたくさんいても、実際にシャッターを切れていた方は限られていたのです。
雄勝石にUVプリントした震災前の写真も部屋の一角に設置。今はもう見ることが叶わない風景がほとんどですが、寂しい反面、昔の面影を懐かしみ、感動してくださる方が多い展示に仕上がりました。ちなみに、撮影日と撮影場所を記したタグも全て雄勝石で、文字はレーザー彫刻。こちらのサブタイトルは「まぶたに映る、ある日の風景。」
全ての写真が壁におさまったところで、おがつ店こ屋街のみなさんにお集まり頂き、記念撮影。会議の席にて全写真データを確認の上、実際のパネルの制作に入ったわけですが、みなさんあらためて思い出話に花を咲かせてらっしゃいました。「こんとき、俺もここに避難してたはずだな~」とか、「震災後はじめてうどん食べたのが、この日の炊き出しだったんだよね~」とか。こちらの「Memorial Room おがつのあしおと」は、どなたでも自由にご覧頂けますので、ぜひ多くの方に足を運んで頂ければと思います。最後になりますが、写真と共に展示されているメッセージをご紹介致します。
「伝えるなにかを残したい」
そんな想いで、東日本大震災から三年の時を写真パネルに、以前の町を雄勝石に写し、展示させて頂いております。
ただの更地にしか見えない場所には、家もお店もありました。前に進むために解体される学校や役所。建ち上がる仮設住宅、店舗や工場、事務所、新しい船。涙、笑顔、そして暮らし。
あの時、確かに時は止まった。でも、すぐに動きはじめました。それぞれの思いで。もちろん、ここに写る人や物が全てではありません。ただ、その時そこに確かに在ったのは、前を向いて歩く人の姿。聞こえたのは“あしおと”。今までも、これからも、ずっとずっと続いていきます。
貴重な写真をご提供頂いた方々をはじめ、ご協力頂いた全ての皆様に心より感謝申し上げます。
日々この場所で働き、離れ離れになった雄勝の人たちをつなぎ合わせるため、さまざまな場づくりを継続されてきたおがつ店こ屋街のみなさんからお手紙をお預かりしました。ふるさと雄勝町に対する想いと、応援してくださった方々への感謝の気持ち、ご覧ください。